みなさまこんにちは。
校長初年度の令和3年度は、なかなか記事を書くまとまった時間が見つからなかったため、主にTwitterでの発信を中心にさせていただきました。令和4年度はこちらでの発信も少しずつ増やしていこうと思います。引き続きお付き合いの程お願いいたします。
第1弾は、当校の入学式で新入生・保護者のみなさまに語った式辞からの引用です。昨年に引き続き当校のスローガン「問う力」について語ったもの(虎舞竜のように毎年表現を変えながら伝え続けようと思っています)ですが、いま正に私たちの目の前で起きているウクライナ紛争のお話を導入に、特にクリティカル・シンキングについて語ってみました。
(前略)
日々ウクライナ情勢についてニュースが耳に入ってきます。みなさんはどのくらい関心を持って聞いているでしょうか。
人類は、傷つけあわずに共生する高度な知恵をもった生き物です。にもかかわらず、このように血で血を洗う争いが起きてしまうのは、いったいなぜでしょうか。
今はまだ、あずかり知らぬ世界で起きた人ごととして見えているかもしれません。しかしみなさんの学びの究極の目的は、偏差値を上げることでも、裕福になることでもなく、平和で持続可能な世の中を支える一員として、一人ひとりが自己実現をすることにあります。当校での学びを通じ、ぜひ地球の裏側の悲しみに共感し、自分の出来る行動を考えられるような大人の国際人を目指していきましょう。
ウクライナの件について、もう少しお話を進めます。
この紛争は、情報戦の色を強く帯びていると言われています。身内に都合の良い情報ばかりを流したり、過去の動画を加工してあたかも目の前で起きているかのように偽装したり。そんなフェイクニュースに、現地の市民はもとより、世界中の人々が惑わされています。
このような明白な真実なき状況を、今回の紛争が判りやすい形で私たちに示してくれていますが、これはロシアやウクライナに限らず、じわじわと私たちの日常生活にも根を下ろしつつあります。当校の教育が「問う力」をスローガンとしているのも、そんな背景と無縁ではありません。
この「問う力」の中で、最も重要で、にもかかわらず日本人が最も不得手とするのが、批判的に考える力(クリティカル・シンキング)です。
例えば、国際社会では、会議において、発表内容を鵜呑みにするばかりで批判の発言をしない参加者は、次の会に呼ばれません。参加者には、批判を通じて発表内容をよりよくする貢献が求められるからです。これが日本の組織では、声を上げて批判をした結果、次の会に呼ばれないという真逆の結果を招くことすらあります。このように国際社会の常識には、私たちの感覚と異なるものが多くあります。だからみなさんは、意識してそれを身につけなければなりません。
そのために、みなさんはどうすればよいでしょうか。
まず、「問う」とか「批判的に考える」とか言ってもなかなかイメージが湧きづらいかと思うので、さしあたり「疑いをさしはさむこと」reasonable skepticismだと思っておいて下さい。
みなさんも、友だちとの間で「マジかよ!信じられねぇ~!」なんて言ってみたり、家族との茶の間の会話で「ママそれ誰に聞いたの?」なんて質問したり、ということはあるかと思います。
ではその対象が、SNSの口コミだったらどうでしょうか。TVやウェブ検索のトップに表示された記事だったら。そして…学校の言うことだったら。例えば、この入学式もそうです。この式は、何のためにやっているのでしょう?国の言うことだったら。
疑うためには、確かに応分の知識は必要になります。基礎知識や理屈なき疑いは、愚痴やクレームと変わりありません。
一方で、知識を持てば疑いが生じるかと言うと、必ずしもそうではありません。例えば、教科書や先生の言うことを鵜呑みにするだけの勉強をしていると、逆に疑う力をすり減らせてしまうことにもなります。つまり、批判的に考える力を身に着けるためには、学ぶ内容以上に、学び方が重要だ、ということです。
これから始まるみなさんの学校生活は、「問い(疑い)」の種にあふれています。
「目の前の授業を通じどのような力が身に着くのだろう。」「この勉強の仕方は本当に自分にあっているのだろうか。」 最近ブラック校則・ブラック部活について議論が沸き起こっていますが、当校も完璧ではありません。学校運営についても、さまざまな疑問が生じて当然です。
目の前の疑問にしっかりと向きあい、学校内外の多様な人たちにアドバイスをもらい、何を信じるか自分で決断する習慣をつけること。そんな姿勢を身に着けることで、奥行きを増す大学入試に対応できるだけでなく、その先の大いなる社会が求める人材となることができます。
疑うことにためらわず、目の前に生じる「疑い」をしっかりと「疑い」、それを通じ、正しく疑う術を身に着けていくこと。そのことを肝に据えて学びの旅路を歩んで行ってください。
(後略)